
「この先、もっと身体が動かなくなったらどうしよう」
「物忘れが増えてきたけれど、これから自分はどうなっていくのだろう」
年齢を重ね、自分の身体や頭の働きに以前との違いを感じるようになると、年を取るのが怖い、不安だ、と思うことがあります。
私自身もそうです。
身体のあちこちが硬くなり、動きにくさや痛みを感じる。疲れやすくなり、以前のように無理が利かない。さらに悲しいのは、考える速度が落ちたり、物忘れが増えたりしたと自分で感じることです。
それでも私は、老いへの不安を無理になくそうとは思っていません。
幸い、私の老化は一度にやってきたのではなく、少しずつ身体に現れています。だから私自身も、少しずつ受け入れることができているのだと思います。
介護職として多くの高齢者と接してきましたが、年の取り方は本当に十人十色、百人百様、千差万別です。この記事では、そんな介護現場での実感と、自分自身に起きている老化、そして公的資料で確認した情報を分けながら、今の私が老いへの不安とどう向き合っているのかを書きます。
● この記事でわかること
- 年を取ることへの「怖さ」と「不安」を、私はどう受け止めているのか
- 身体の動きや疲れ方に、私が実際に感じている変化
- 考える速度や物忘れの変化を、どう考えているのか
- 介護現場で感じてきた「老い方は人それぞれ」という現実
- 老いへの不安を抱えながら、残りの人生をどう生きたいと考えているのか
「こう考えれば、老いは怖くなくなる」という答えを示す記事ではありません。
老いていく途中にいる一人の人間として、不安や悲しさも含めて今感じていることを正直に書きます。年を取ることが不安になってきた方が、自分は老いの何を怖がっているのかを考える一つのきっかけになればと思います。
年を取るのが怖いなら、不安を無理に消さなくてもいい

「年を取るのが怖い」と感じることがあります。
ただ、私の場合は「怖い」というより、「不安」という言葉のほうが近いように思います。
これから自分の身体がどう変わっていくのか。今できていることが、いつまでできるのか。頭では分かっていても、実際に自分の身体に変化が出てくると、やはり気になります。
私は、老いへの不安を無理になくそうとは思っていません。
「老いを前向きに受け入れなければならない」と自分に言い聞かせてもいません。身体が衰えていくことも、できないことが増えていくことも、嬉しいはずはありません。
幸い私の場合、老化はある日突然やってきたのではなく、少しずつ身体に現れてきました。そのためでしょうか。変化を感じるたびに、「自分も年を取ったんだな」と、少しずつ受け入れる時間も与えられているように感じます。
「怖い」と「不安」は、私の中では少し違う
年を取ることそのものより、私が一番不安なのは、自分の身体が自分の思うように動かなくなることです。
死ぬことや、いつか仕事ができなくなることは悲しいことですが、歳を取れば避けられないことでもあります。
けれど、自分の意思はあるのに身体がついてこない。今まで普通にできていたことができなくなる。私は、そこに老いの怖さを感じています。
老いへの不安をなくすことを目標にはしていない
おそらく、この先も不安が完全になくなることはないでしょう。
それでも私は、不安を消すことより、避けられないことは受け入れながら、今の自分にできることを考えていきたいと思っています。
この記事で書きたいのも、「こう考えれば老いは怖くなくなる」という話ではありません。
実際に老化を感じ始めた一人の人間として、私が何を不安に感じ、どう折り合いをつけようとしているのか。その途中経過を書いてみたいと思います。
年齢を重ねても、誰もが同じように衰えるわけではない

年を取ると、若い頃と同じようにはいかなくなる部分が出てきます。
私自身もそれを感じていますし、介護の仕事をしていると、身体の動きや暮らし方が変わっていく高齢者と接する機会があります。
ただ、ここで忘れたくないのは、年を取れば誰もが同じように衰えていくわけではないということです。
厚生労働省の資料でも、年齢を重ねることで筋力などの身体機能が低下する傾向がある一方、その程度には大きな個人差があることが示されています。
身体の変化には大きな個人差がある
介護現場で働いていても、この個人差は強く感じます。
同じくらいの年齢でも、自分のことをほとんど自分でできる人もいれば、日常生活の多くに手助けが必要な人もいます。
もちろん、そこには病気や生活歴などさまざまな事情がありますから、年齢だけで単純に比べることはできません。
「自分は○歳だから、これから必ずこうなる」と決めつけることはできないのだと思います。
「頭が衰える」と一括りにはできない
これは身体だけではありません。
国立長寿医療研究センターが紹介している研究では、知的な能力もすべてが同じように変化するわけではなく、情報を素早く処理する力と、長年蓄えてきた知識などでは、年齢による変化の仕方が異なることが示されています。
私自身、「以前より考える速度が遅くなった」と感じることがあります。
だからといって、頭の働きのすべてが一様に落ちていく、と考える必要はないのでしょう。
老いには確かに変化があります。
しかし、その変化の現れ方は人それぞれです。
介護現場でさまざまな高齢者を見てきたからこそ、私は自分のこれからについても、年齢だけを見て一つの未来に決めつけないようにしたいと思っています。
私が「年を取った」と実感するようになった身体の変化

年を取ったことは、年齢の数字だけを見て実感するものではないと思います。
少なくとも私の場合は、日常のちょっとした動きの中で、「ああ、自分も確実に年を取っているんだな」と感じることが増えてきました。
若い頃には意識もしなかったことが、少しずつ気になるようになっています。
体が硬くなり、動かしにくさや痛みを感じるようになった
まず感じるのは、身体のあちこちが硬くなってきたことです。
以前なら何も考えずにできていた動きでも、今は少し動かしにくかったり、どこかに痛みを感じたりすることがあります。
「これくらいなら大丈夫」と思って動いても、身体のほうが以前と同じようには反応してくれません。
もちろん、こうした変化の原因をすべて年齢のせいだと決めつけることはできません。
ただ、私自身の感覚としては、若い頃との違いをはっきり意識する場面が増えてきました。
頭で考えた動きと、実際の身体の動きがずれる
もう一つ強く感じるのが、頭ではこう動こうと思っているのに、身体がそのとおりについてこないことです。
自分の中では以前と同じつもりでも、実際の動きは少し遅かったり、思った位置まで足や手が動いていなかったりする。
そのずれに気づいたときは、少し驚きます。
自分の身体なのに、以前ほど思いどおりには動かせない。
私にとって、老いを実感するのは、こうした瞬間です。
疲れたときに、昔のような無理が利かなくなった
疲れ方も変わってきました。
若い頃なら、多少疲れていても「もう少し頑張ろう」と無理をすれば何とかなったことがあります。
今は、疲れてしまうと、その無理が利きません。
無理をしようと思っても、身体のほうから「今日はここまでだ」と言われているように感じることがあります。
こうした変化は、どれも突然起きたわけではありません。
少しずつ、少しずつです。
だからこそ寂しさはありますが、その一方で、私自身にも老いていく自分を受け入れる時間が与えられているのかもしれない、と感じています。
一番悲しいのは、考える速度と物忘れの変化だった

身体の変化にも寂しさはあります。
それでも、私が一番ショックというか、悲しいと感じるのは、考える速度が明らかに落ちてきたことや、物忘れが増えてきたことです。
身体なら、「年を取れば仕方がない」とまだ受け止めやすいところがあります。
けれど、頭の働きについては、昔の自分との差を感じるたびに、少し複雑な気持ちになります。
「前ならもっと早く考えられた」と感じる
以前なら、もう少し早く考えがまとまっていた。
もう少しすぐに判断できていた。
そんなふうに感じる場面が増えてきました。
もちろん、これはあくまで私自身の感覚です。
国立長寿医療研究センターが紹介している研究では、情報を素早く処理する力には年齢による変化がみられる一方で、知識など別の能力は同じように変化するわけではないことも示されています。
ですから、「考えるのが遅くなった=頭の働きが全部衰えた」と単純に考えることはできません。
それでも、自分の中では「前とは違う」と感じる。
その事実には、やはり寂しさがあります。
物忘れが増えたと感じることには、寂しさがある
物忘れについても同じです。
「あれは何だったかな」「さっき何をしようとしていたんだろう」と、すぐに出てこないことがあります。
そんなとき、自分でも「ああ、また忘れている」と気づきます。
この感覚は、身体が少し動きにくくなるのとはまた違った悲しさがあります。
自分の中に積み重ねてきたものまで、少しずつこぼれていくように感じるからかもしれません。
ただし、物忘れがあるだけで認知症とは限りません。
国立長寿医療研究センターでも、物忘れだけで認知症とは判断できず、認知機能の変化によって日常生活に支障が生じているかどうかなども重要だと説明しています。
私自身の物忘れについても、ここで原因を決めつけるつもりはありません。
ただ、「以前とは違う」と自分で感じること。
そして、その変化を悲しいと思うこと。
それもまた、今の私に起きている老いの一つとして、隠さずに書いておきたいと思います。
死ぬことより、身体の自由を失っていくことのほうが不安だ

「年を取るのが怖い」と言っても、何を怖いと感じるかは人によって違うと思います。
私の場合、死ぬことそのものが一番怖いわけではありません。
もちろん、死ぬことは悲しいですし、できればまだまだ生きていたいと思います。
それでも、歳を取り、やがて死ぬことは、生きている以上避けられないことだと考えています。
それよりも私が不安なのは、自分の意思はあるのに、身体が思うように動かなくなっていくことです。
死ぬことは悲しいが、避けられないことだと思っている
人はいつか死にます。
若い頃には遠い話だったものが、年齢を重ねるほど、自分にも確実に訪れる出来事として感じられるようになりました。
だからといって、私は死ぬことを平気だと思っているわけではありません。
悲しいものは悲しい。
けれど、そこは自分の力だけではどうにもならないことでもあります。
私にとっては、避けられないものを必要以上に怖がり続けるより、今生きている時間をどう過ごすかを考えるほうが大切になってきました。
仕事ができなくなる日も、いつか来る
今は介護の仕事をしていますが、これもいつまでも続けられるとは思っていません。
身体が動かなくなれば、今のように仕事をすることは難しくなるでしょう。
仕事ができなくなることには、やはり寂しさがあります。
長く続けてきた役割を失うような感覚もあるのかもしれません。
ただ、それも年齢を重ねれば、いつか向き合うことになることの一つだと思っています。
家族に何かしら迷惑をかけることへの申し訳なさ
もう一つ気になるのは、最期には家族や周りの人たちに何かしら迷惑をかけることになるのではないか、ということです。
自分一人ですべてを終えられるわけではありません。
誰かに手を借りることもあるでしょう。
それは仕方のないことだと思う一方で、やはり申し訳なさも感じます。
だからこそ私は、「年を取るのが怖い」という一言で終わらせず、自分はいったい何を不安に感じているのかを分けて考えるようになりました。
死なのか。身体の自由を失うことなのか。仕事なのか。家族への負担なのか。
私の場合、一番大きいのはやはり、身体が自分の思うように動かなくなっていくことです。
不安の中身が少し見えてくると、少なくとも「何となく怖い」という漠然とした気持ちとは、少し違った向き合い方ができるように感じています。
介護現場で見てきた高齢者は、まさに千差万別だった

私は介護の仕事をしています。
その現場で多くの高齢者と接していると、つくづく感じることがあります。
それは、年の取り方は本当に人それぞれだということです。
同じ「高齢者」という言葉でくくっても、身体の状態も、考え方も、性格も、生活の仕方も違います。
私がこれまで見てきた範囲では、まさに十人十色、百人百様、千差万別です。
「高齢者」と一括りにはできない
年齢が同じくらいだからといって、同じように老いていくわけではありません。
元気に自分のことをしている人もいれば、生活のさまざまな場面で手助けが必要な人もいます。
もちろん、病気や生活環境など、それぞれに違った事情があります。
だから私は、年齢だけを見て「この先はこうなる」と決めつけることはできないと思っています。
これは介護現場で働いてきた中で、何度も感じてきたことです。
人の数だけ年の取り方があると感じている
介護の仕事を始める前より、今のほうが老いを身近に感じています。
ただ、その一方で、「高齢者になれば、みんな同じようになっていく」という見方はしなくなりました。
人の数だけ生きてきた時間があり、人の数だけ年の取り方があります。
元気な人もいれば、そうでない人もいる。
穏やかに歳を重ねているように見える人もいれば、さまざまな不安や不自由を抱えている人もいる。
どれが正しい年の取り方だと、私には決められません。
だから自分の老後も、今から一つに決めつけたくない
自分自身に老化を感じるようになった今、介護現場で見てきた高齢者の姿を、自分の将来と重ねて考えることがあります。
「自分もいつか、ああなるのだろうか」と思うこともあります。
けれど同時に、あまり先の自分を一つの姿に決めつけても仕方がないとも思います。
これから身体がどう変わるのか、どんな老い方をするのかは分かりません。
だからこそ、まだ分からない未来を必要以上に怖がるより、今の自分にできることを大切にしたい。
介護現場でさまざまな年の取り方を見てきた経験は、老いへの不安をなくしてくれたわけではありません。
それでも、「老後の姿は一つではない」と知っていることは、自分自身の老いを考えるうえで一つの支えになっています。
少しでも「いい年の取り方」をするために、残りの人生をよりよく生きたい

私は、自分の老化を完全に受け入れられたわけではありません。
身体が思うように動かなくなっていくことは不安ですし、考える速度が落ちたり、物忘れが増えたりすることには今でも寂しさがあります。
それでも幸いなことに、老化は一度に押し寄せてきたわけではありません。
少しずつ身体に変化が現れ、そのたびに「自分も年を取っているんだな」と気づいてきました。
だから私も、老いを少しずつ受け入れているのだと思います。
老化が少しずつだから、私も少しずつ受け入れられている
もし昨日まで何でもできていたのに、今日突然すべてができなくなったとしたら、受け入れるのはもっと難しいでしょう。
私の場合は、動きにくさや疲れやすさ、物忘れなどを少しずつ感じてきました。
寂しいと思いながらも、その変化に自分の気持ちが追いつく時間もあったように思います。
もちろん、誰もが同じように老いを受け入れられるとは思っていません。
これはあくまで、今の私自身が感じていることです。
「いい年の取り方、死に方」をしたい
介護現場では、本当にさまざまな高齢者を見てきました。
その姿を見ながら、自分もいつか同じように老いていきます。
だから最近は、少しでも自分なりに「いい年の取り方」をしたいと考えるようになりました。
そしてその先には、できることなら「いい死に方」をしたいという思いもあります。
ただ、何をもって「いい」とするのかは、人によって違うでしょう。
私にも正解は分かりません。
少なくとも私にとっては、身体が最後まで元気であることだけが、いい年の取り方ではありません。
どう生きたか。
周りの人とどう関わったか。
残された時間をどう使ったか。
そんなことも含まれるのだと思っています。
今の私にできるのは、残りの人生を少しでもよりよく生きること
自分がいつまで元気でいられるのかは分かりません。
いつまで介護の仕事を続けられるのかも分かりません。
それでも、今の自分にできることはあります。
だから私は、先のことばかり心配するより、残りの人生を少しでもよりよく生きることを心がけたいと思っています。
老いを止めることはできません。
けれど、今日どう過ごすか、誰とどう関わるか、何を大切にするかには、まだ自分で選べる部分があります。
人の役に立てる自分でいたい
私は、人の役に立てたときに幸せを感じます。
介護の仕事も、その一つです。
誰かに必要とされたり、自分がしたことで少しでも相手の助けになったりすると、「まだ自分にもできることがある」と感じます。
歳を取ってできないことが増えても、何らかの形で人の役に立てる自分でいられたらいい。
それが今の私にとって、一つの「いい年の取り方」なのかもしれません。
子供や孫には、言葉より生き様を見せられたらと思う
そしてもう一つ、私には子供や孫がいます。
何か立派なことを教えられるとは思っていません。
ただ、自分が歳を取り、できないことが増えていく中でも、残された時間をどう生きようとしているのか。
人とどう関わり、何を大事にして生きているのか。
そういう自分の生き様を見せられたらいいと思っています。
老いは、失うことばかりではありません。
少なくとも私は、老いていく今だからこそ、「残りの人生をどう生きたいのか」を以前より考えるようになりました。
それが、今の私なりの老いとの付き合い方です。
年を取ることへの不安についてよくある疑問
ここまで、私自身が感じている老いへの不安や、身体の変化、物忘れについて書いてきました。
ただ、年を取ることを考え始めると、「これは普通の変化なのだろうか」「物忘れが増えたら認知症なのだろうか」といった別の不安も出てきます。
そこで、今回公的な資料を調べて確認できた範囲で、気になりやすい点を簡単に整理します。
Q:年を取ると、誰でも同じように身体が衰れるのでしょうか?
A: 年齢を重ねることで、筋力などの身体機能が低下する傾向はあります。
一方で、その変化の程度には個人差があります。
つまり、同じ年齢だからといって、誰もが同じような身体の状態になるわけではありません。
介護現場で私が感じてきた「年の取り方は一人ひとり違う」という実感とも重なります。
ですから、「自分はもうこの年齢だから、この先は必ずこうなる」と、年齢だけで将来を決めつける必要はないのだと思います。
Q:年を取ると、考える速度は遅くなるのでしょうか?
A: 国立長寿医療研究センターが紹介している研究では、情報を素早く処理する力には、年齢による低下傾向がみられています。
ただし、知的能力は一種類ではありません。
同じ研究でも、知識力などは情報処理速度とは異なる変化を示しています。
そのため、**「年を取ると、頭の働きがすべて同じように衰える」**と単純に考えることはできません。
私自身は以前より考える速度が遅くなったと感じていますが、その原因を年齢だけで決めつけるつもりもありません。
あくまで、今の自分が感じている変化の一つとして受け止めています。
Q:物忘れが増えたら認知症なのでしょうか?
A: 物忘れがあるだけで、認知症とは限りません。
国立長寿医療研究センターでは、認知症について、認知機能の変化だけでなく、それによって日常生活に支障が生じていることも重要だと説明しています。
ですから、「最近物忘れが増えたから、自分は認知症なのではないか」と、物忘れだけで自分を判断することは避けたほうがよいでしょう。
私自身にも物忘れが増えたという実感はあります。
ただ、この記事で自分の状態を診断するつもりはありません。
「以前とは違ってきた」と感じていることと、医学的な診断とは分けて考える必要があります。
Q:物忘れが気になるときは、いつ相談したらよいですか?
A: 物忘れについて気になる変化が多い場合などには、専門の医療機関へ早めに相談することが勧められています。
大切なのは、「歳だから仕方がない」と自分だけで決めつけないことだと思います。
物忘れが気になっている、以前との違いが大きいと感じる、日常生活への影響が気になる。
そのような場合には、必要に応じて医療機関への相談を検討してよいでしょう。
この記事だけで、物忘れが正常な範囲なのか、病気によるものなのかを判断することはできません。
Q:年を取ることへの不安が強いときは、どうすればよいですか?
A: 老いることに不安を感じること自体を、私はおかしなことだとは思っていません。
私自身にも不安があります。
ただ、不安や心の不調が長く続いている場合や、日常生活に支障が出ている場合には、一人だけで抱え続けず、医療機関や専門機関などへの相談を検討することもできます。
老いへの不安には、一つの正しい向き合い方があるわけではありません。
私自身も、まだ自分なりの向き合い方を考えている途中です。
まとめ|老いへの不安を抱えながら、それでも残りの人生を生きていく

年を取ることへの不安が、私からなくなったわけではありません。
今でも、自分の身体が思うように動かなくなっていくことには不安があります。
身体が硬くなったり、疲れやすくなったり、頭では動くつもりなのに身体がついてこないと感じたりすることも増えてきました。
そして何より、考える速度が以前より遅くなったことや、物忘れが増えたと感じることには、悲しさがあります。
それでも私は、老いへの不安を無理になくそうとは思っていません。
老化は一度にやってきたのではなく、少しずつ自分の身体に現れてきました。だから私自身も、その変化を少しずつ受け入れることができているのだと思います。
介護の仕事をしていると、高齢者の年の取り方は本当にさまざまだと感じます。
十人十色、百人百様、千差万別です。
だから、自分のこれからについても、「歳を取ったら必ずこうなる」と今から一つの姿に決めつけたくはありません。
私が一番不安に感じているのは、死ぬことそのものより、自分の身体が自分の思うように動かなくなっていくことです。
仕事ができなくなる日も、いつか来るでしょう。
家族や周りの人に何らかの負担をかけることもあるかもしれません。
そう考えると、不安や申し訳なさはあります。
それでも、今の私にはまだできることがあります。
人と関わることもできます。
誰かの役に立つこともできます。
私は、人の役に立てたときに幸せを感じます。
そして、子供や孫たちには、自分が歳を取っていく中で何を大切にし、どう生きようとしているのか、その生き様や考え方を見せられたらいいと思っています。
少しでも「いい年の取り方」をしたい。
できることなら「いい死に方」をしたい。
けれど、何が正解なのかは私にも分かりません。
だからこそ今は、残りの人生を少しでもよりよく生きることを大切にしたいと思っています。
もし今、「年を取るのが怖い」と感じているなら、その不安を無理に消そうとするのではなく、
「自分は老いの何を不安に感じているのだろう」
と、一度考えてみてはいかがでしょうか。
身体が動かなくなることなのか。
物忘れなのか。
仕事ができなくなることなのか。
家族や周りの人に負担をかけることなのか。
それとも、死そのものなのか。
答えは人によって違うと思います。
そしてもう一つ、
「これからも大切にしたいことは何か」
「今の自分に、まだできることは何か」
についても考えてみる。
老いへの不安が完全になくならなくても、これからの時間をどう生きるかについては、まだ自分で考えることができます。
私自身も、不安や悲しさを抱えながら、自分なりの老い方を探している途中です。
その途中で、残された時間を少しでもよりよく生きていきたい。
今の私は、そう考えています。
