
親を施設へ預けることを決めたあと、
「本当にこれでよかったのだろうか」
「もう少し自宅で介護できたのではないか」
そんな気持ちが残ることがあります。
私も、母を施設へ預けたあと、完全には割り切ることができませんでした。
私は現役の介護職として働きながら、要介護3だった母を約1年間、自宅で介護しました。
食事を自分でうまく取れなくなり、トイレへ行かなくなって失禁が増え、それまでほとんどなかった転倒も増えていきました。
在宅生活をこのまま続けることが難しくなり、ケアマネジャーや家族にも相談したうえで、最終的に母を老健へ預けることを自分で決めました。
今振り返れば、施設へ預けた判断も、その時期も間違っていなかったと思っています。
それでも、母に申し訳なかったという気持ちや罪悪感が、完全になくなったわけではありません。
施設へ預けると決めたときには、申し訳なさだけでなく、「これで少し安心できる」という気持ちもありました。
私の場合、必要な判断だったと納得することと、罪悪感が消えることは別でした。
この記事では、「親を施設へ預けても罪悪感を持つ必要はない」と言い切るつもりはありません。
母を施設へ預けるまでに何があり、決断したときに何を感じ、母が亡くなった今、その選択をどう受け止めているのか。
実際に経験したことをもとに書きます。
この記事でわかること
- 母を施設へ預けることを具体的に考え始めた理由
- 施設入所を決めたときに「安心」と「申し訳なさ」が同時にあったこと
- 介護職でも、自分の親の施設入所は簡単に割り切れなかったこと
- 母が亡くなった今、施設へ預けた判断をどう振り返っているか
- 「判断に納得すること」と「罪悪感が消えること」を、今どう整理しているか
親を施設へ預けた罪悪感に、誰にでも当てはまる答えがあるとは私は思いません。
ただ、同じように迷っている人にとって、私の経験が自分の気持ちを整理する一つの材料になればと思います。
母を施設へ預けた罪悪感は、今も完全には消えていない

母を施設へ預けたことについて、今の私は「間違った判断をした」とは思っていません。
母の状態や当時の在宅介護の状況を振り返れば、施設という選択肢を具体的に考える時期に来ていたと思っています。
それでも、「それなら何の迷いもなくなったのか」と聞かれれば、そうではありません。
今でもどこかに、
「もう少し自宅でできたことがあったのではないか」
という思いがあります。
母に申し訳なかったという気持ちもあります。
そして母が亡くなった今は、施設入所について感じていた罪悪感だけでなく、母を失った喪失感もあります。
だから私は、施設へ預けた判断に納得することと、罪悪感がなくなることは同じではないと感じています。
少なくとも私の場合はそうでした。
施設入所への罪悪感は、家族介護者を対象とした研究でも取り上げられています。
ただし、これは施設へ親を預けたすべての家族が同じように感じるという意味ではありません。
私自身も、「罪悪感」という一つの言葉だけでは整理できませんでした。
そこには、いくつもの気持ちが混ざっていました。
施設を考えるようになったのは、在宅介護を続けることが難しくなったから

母の介護が本格的に必要になってきたのは、2025年の初め頃でした。
それまでも必要なときには介助をしていましたが、母は何とか自分でできることも多くありました。
ところが、年明け早々に転倒して額をけがし、その後は体調も悪化しました。
そこから少しずつ、生活の中で介助が必要な場面が増えていきました。
それまで自分で取れていた食事も、徐々にうまく食べることが難しくなりました。
以前は自分でトイレへ行き、失禁することもほとんどありませんでしたが、次第にトイレへ行かなくなり、失禁も増えていきました。
それまでほとんどなかった転倒も増えました。
一つのことだけが大変だったわけではありません。
食事、排泄、清潔、転倒への注意など、生活全体を支える必要が少しずつ大きくなっていったのです。
私はその状態で、約1年間、母の在宅介護を続けました。
介護サービスも利用していました。
それでも母の状態が変化していくなかで、次第に「このまま自宅で生活を続けるのは難しいのではないか」と考えるようになりました。
2025年11月初め頃には、施設入所について具体的に考えなければならないと思うようになりました。
突然「もう施設に入れよう」と決めたわけではありません。
母自身でできることが減り、必要な介助が増えているという現実がありました。
施設を考えるようになったのは、その現実があったからです。
約1年間の在宅介護で実際に何が大変だったのかについては、別の記事「要介護3の母を約1年間、自宅で介護して分かったこと|在宅介護の現実」で詳しく書いています。
ただ、施設が必要かもしれないと考えられるようになっても、気持ちまで簡単に切り替えられたわけではありませんでした。
施設へ預けると決めたとき、安心と申し訳なさが同時にあった

母を施設へ預けると決めたときの気持ちを、「罪悪感があった」という一言だけで表すのは少し違うと思っています。
確かに、罪悪感はありました。
申し訳ないという気持ちもありました。
一方で、安心した部分もありました。
このまま自宅で介護を続けていかなければならない状態から変わることへの安心です。
そして、その安心と申し訳なさは、どちらか一方ではありませんでした。
両方が同時にありました。
「仕方がない」という気持ちもありました。
自宅での生活を続けることが難しくなっているのは分かっていました。
だから施設を考えました。
それでも、自分の母を自宅から施設へ移すことになると、簡単に「これでよかった」とは思えませんでした。
一方には「これで少し安心できる」という気持ちがある。
もう一方には、母に対する申し訳なさがある。
その二つが同時に存在していました。
施設へ家族を預けることへの罪悪感や、施設入所後も家族として関わり続けたいという思いについては、施設入所者の家族を対象にした研究でも扱われています。
もちろん、家族によって感じ方は異なります。
私の場合、施設へ預ける決断は「これで全部解決した」というものではありませんでした。
介護する場所が変わることと、自分の気持ちが整理されることは別でした。
介護職でも、自分の親を施設へ預けることは割り切れなかった

私は現役の介護職です。
仕事では、高齢者の生活を支えることを日常的に行っています。
介護サービスや施設が必要になることがあるのも、仕事を通して理解しています。
それでも、自分の母のことになると話は別でした。
仕事では介護職として利用者に関わります。
しかし家では、私は介護職である前に母の息子です。
仕事なら状況を見ながら必要な支援を考えます。
しかし、自分の親になると、そこには親子としての関係や感情が入ってきます。
頭では、
「今の状態なら施設という選択肢を考える必要がある」
と理解できる。
それでも、
「自分の母を施設へ預ける」
となると、それだけでは割り切れませんでした。
介護の知識があることと、自分の親について感情を切り離して考えられることは、私の場合は同じではありませんでした。
これは、実際に母の在宅介護を経験して感じたことです。
介護職と家族介護の違いについては、「介護職でも親の介護はつらい|仕事と家族で違った現実と教訓」でも詳しく書いています。
施設入所についても、介護職だから迷わなかったわけではありません。
最終的な判断をするのは、家族としての自分でした。
最終的に決めたのは自分だったから、迷いも自分の中に残った

2025年12月初め頃、私は担当のケアマネジャーに施設入所について相談しました。
家族では姉にも母の状況を伝えました。
姉からは「任せる」という趣旨の返事がありました。
最終的には、私自身が判断することになりました。
老健を選んだのも、数多くの施設を比較して「ここが一番いい」と選んだわけではありません。
私の住んでいる地域では施設の選択肢そのものが多くなく、担当ケアマネジャーからの助言も受けながら老健への入所を決めました。
相談する人がいなかったわけではありません。
ケアマネジャーにも相談しましたし、姉にも状況を伝えています。
それでも、最後に決めたのは自分でした。
だから後になって、
「本当にこれでよかったのか」
と考えたとき、その問いは自分自身に返ってきます。
誰かから一方的に決められたわけではありません。
自分で状況を見て、相談して、最後は自分で決めました。
今振り返れば、その過程も含めて自分の判断だったと思っています。
同時に、最終判断を自分でしたからこそ、その判断を何度も振り返ることにもなりました。
母が亡くなった今、施設へ預けた判断は間違っていなかったと思う

母は老健へ入所したあともADLが低下し、要介護5となりました。
そして、入所してから約3か月後に亡くなりました。
母が亡くなった今、施設へ預けたことを振り返ると、私は入所という判断そのものは間違っていなかったと思っています。
時期についても、今は間違っていなかったと思っています。
当時の母は、自分でできることが減っていました。
食事にも介助が必要になり、排泄面でも介助が増え、転倒も増えていました。
その状況で在宅介護を続けることには、現実的に難しい部分が増えていました。
では、
「施設に入れず、そのまま自宅で介護を続けていたらどうなっていたのか」
その答えは分かりません。
自宅で介護を続けていた未来は、実際には起きていないからです。
だから、起きなかった未来を想像して「こちらの方が正しかった」と判断することはできません。
分かっているのは、あの時点での母の状態と、当時の私たちの状況です。
その事実を振り返ったとき、施設へ預けるという判断も、その時期も、今の私は間違っていなかったと思っています。
なお、母が施設へ入所したことと、その後のADL低下や死亡を、私は単純に結びつけて考えているわけではありません。
今こう思えるのは、その後の経過まで知っている現在だからでもあります。
当時は、先のことなど分かりませんでした。
だからこそ迷いました。
そして、現在の私が判断に納得できるようになったからといって、当時感じた申し訳なさまで消えたわけではありません。
「判断」と「罪悪感」は、同じようには整理できなかった

今の私から当時の状況を整理すると、事実は比較的はっきりしています。
母の状態は少しずつ低下していました。
自分で食事を取ることが難しくなり、排泄の介助が増え、転倒も増えていました。
在宅生活をそのまま続けることが難しくなっていました。
私はケアマネジャーへ相談しました。
姉にも状況を伝えました。
そのうえで、施設へ預けることを決めました。
これらの事実を一つずつ振り返れば、
「必要な判断だった」
と今の私は思えます。
ところが、感情は同じようには整理できませんでした。
「必要だった」
と理解したからといって、
「申し訳ない」
という気持ちが自動的になくなるわけではありませんでした。
今なら、判断への評価と、その判断に伴った感情は別だったと言えます。
私は今、施設へ預けた判断を間違っていたとは思っていません。
それでも、「母を施設へ預けた」ということに対する罪悪感は完全には消えていません。
この二つは矛盾しているようですが、私の中では同時に存在しています。
正しい判断だったと思えることと、何も感じなくなることは同じではありませんでした。
だから今は、罪悪感を無理に消そうとは思っていません。
それよりも、
「あのときの母の状態を見て、自分なりに考え、相談したうえで決めた」
という事実を受け止めるようになりました。
罪悪感がゼロになったわけではありません。
ただ、当時の自分の判断を、以前とは違う形で振り返れるようにはなっています。
同じ罪悪感を抱えている家族に、私が伝えたいこと

私は自分自身が今も完全に割り切れていないので、
「親を施設へ預けても罪悪感を持つ必要はありません」
とは簡単には言えません。
それぞれの家庭で事情も違います。
親の状態も違います。
家族の人数や仕事、介護できる時間、利用できるサービス、施設の選択肢も違います。
私の経験が、そのまま誰かの答えになるとも思っていません。
ただ、自分の経験から言えるのは、罪悪感だけではなく、当時実際に何が起きていたのかも一緒に振り返ることが大切だったということです。
私は今、
- 母は当時どんな状態だったのか
- 自宅で生活を続けるには何が必要だったのか
- 実際にどこまで自宅で介護していたのか
- 誰に相談したのか
- 何を考えて施設を決めたのか
という事実を一つずつ振り返っています。
そうすると、申し訳なさが完全に消えなくても、
「あのときの状況を見ながら考えて決めたことだった」
とは思えます。
もし今、在宅介護を続けるか施設を考えるかで迷っている段階なら、家族だけで答えを出す必要はありません。
すでに担当ケアマネジャーがいる場合は相談できます。
また、地域包括支援センターは、高齢者や家族の介護に関する相談を受ける地域の窓口です。
市区町村の介護相談窓口へ相談する方法もあります。
私自身も、最後は自分で決めましたが、その前にケアマネジャーへ相談しました。
決めることと、一人だけで考えることは同じではない。
今はそう思っています。
親を施設へ預ける罪悪感についてよくある質問
Q:親を施設へ入れることに罪悪感を持つのはおかしいですか?
A:おかしいとは言えません。施設入所への罪悪感は、家族介護者について扱った研究でも取り上げられている感情の一つです。
ただし、施設へ入れた家族全員が同じように感じるという意味ではありません。
私の場合は、罪悪感や申し訳なさだけでなく、安心や「仕方がない」という気持ちも同時にありました。一つの感情だけでは説明できなかったというのが実際のところです。
Q:親を施設へ預けた罪悪感は、時間が経てば消りますか?
A:少なくとも私の場合、完全には消えていません。
母を施設へ預けた判断や時期については、今では間違っていなかったと思っています。
それでも、申し訳なさや喪失感までなくなったわけではありません。
「判断に納得できること」と「罪悪感がなくなること」は、私の場合は別でした。
Q:在宅介護を続けるか施設へ入れるか、誰に相談できますか?
A:すでに担当ケアマネジャーがいる場合は、まず現在の介護状況を具体的に相談できます。
また、地域包括支援センターや市区町村の介護相談窓口へ相談する方法もあります。
本人の状態だけでなく、家族がどこまで介護を続けられるのか、利用できるサービスに何があるのかなども含めて、具体的な状況を伝えながら相談するとよいと思います。
まとめ|施設へ預けた判断に納得しても、罪悪感まで消えるとは限らなかった

私は母を約1年間自宅で介護したあと、老健へ預けることを決めました。
食事、排泄、転倒など、母自身でできることが減り、自宅での生活を続けることが難しくなってきたからです。
ケアマネジャーに相談し、姉にも状況を伝えたうえで、最後は自分で決めました。
そのときにあったのは、罪悪感だけではありませんでした。
申し訳なさもありました。安心もありました。「仕方がない」という気持ちもありました。
母が亡くなった今、私は施設へ預けた判断も、その時期も間違っていなかったと思っています。
それでも、罪悪感や喪失感が完全になくなったわけではありません。
判断に納得することと、その判断に伴った感情が消えることは、私の場合は別でした。
だから今は、罪悪感を無理になくそうとはしていません。
その代わり、
「当時の母はどんな状態だったのか」
「自宅での生活を続けるには何が必要だったのか」
「誰に相談して、何を考えて決めたのか」
という事実を振り返るようにしています。
親を施設へ預ける決断に、誰にでも当てはまる一つの正解があるとは私は思いません。
私自身も、今なお完全に割り切れたわけではありません。
それでも、あのときの母の状態と自分たちの状況を振り返れば、自分なりに考えた末の判断だったとは思えています。
今、同じような罪悪感を抱えている人がいるなら、気持ちだけを無理に消そうとするのではなく、まず「なぜ、あのときその判断をしたのか」を事実から振り返ってみる。
私にとっては、それが母を施設へ預けたことを受け止めていく一つの方法になっています。
