
親が施設へ入所して間もなく亡くなると、「施設へ預けた判断は正しかったのか」「もっとできることがあったのではないか」と考える方もいると思います。
私の母は、2025年12月末に老健へ入所し、その約3か月半後に93歳で亡くなりました。死因は「老衰」でした。入所前から母の状態は悪化しており、老健へ入所した直後の認定では、それまでの要介護3から要介護5になりました。
最後に面会したとき、母は食事を取れず、話しかけても返事をしているのか分からない状態でした。その姿を前に、私は介護スタッフへ「無理に食べさせなくていい」と伝え、医師には「延命治療はしなくていい」と自分の希望を伝えました。
この記事では、老健入所後の母の変化から、最後の面会、勤務中に死亡の連絡を受けた日のことまでを、確認できている事実に沿って振り返ります。また、父を見送った経験が母の最期に対する判断へどう影響したのか、93歳で亡くなった母の人生と死を私がどう受け止めたのかについても書きます。
●この記事でわかること
- 母が老健へ入所してから、約3か月半後に亡くなるまでの経過
- 食事を取れなくなった母を前に、私が介護スタッフと医師へ伝えたこと
- 父の最期を見た経験が、母の医療やケアに対する希望へ与えた影響
- 死因が「老衰」だった母の人生と最期を、私がどう受け止めたのか
人生の最終段階でどのような医療やケアを望むかに、誰にでも当てはまる一つの答えはありません。ここからは、一人の息子として母を見送った私の経験と、母の最期について考えたことをお伝えします。
※本記事は、一人の息子として母を見送った個人的な体験です。人生の最終段階における医療やケアについては、本人の意思を基本に、家族と医療・ケアチームで十分に話し合うことが大切です。
入所直後、母は要介護5と認定された

母が老健へ入所したのは、2025年12月末でした。それ以前から母の状態は少しずつ悪化しており、食事、排泄、歩行など、生活のさまざまな場面で介助が必要になっていました。
施設への入所を考えたとき、私は担当のケアマネジャーへ相談しました。その際、入所を急ぐのであれば、認定調査は入所前ではなく、入所後に受けた方がよいという助言を受けました。そこで、母の認定調査は老健へ入所した後に行ってもらうことになりました。
その結果、それまで要介護3だった母は、入所直後の認定で要介護5となりました。入所したことで急に要介護5になったのではありません。2025年初めに体調を崩してから状態の悪化が続いており、認定調査を受けた時点では、それだけ多くの介助を必要とする状態になっていたのです。
入所して間もなく、施設からは、食事などがほとんど全介助の状態だと伝えられました。在宅で介護していた最後の時期にも母の衰えは感じていましたが、施設でもほぼ全面的な介助を受けていると聞き、状態がかなり進んでいたことを改めて知りました。
私は入所時、少しくらいの体調変化や怪我であれば連絡は要らないと施設へ伝えていました。その後しばらく、施設から特別な連絡はありませんでした。
しかし約3か月後、私が面会を申し込んだとき、それまで知らなかった母の変化を伝えられることになります。
4月初め、施設から「すぐ来てほしい」と言われた

母が老健へ入所してから、施設から特別な連絡がないまま約3か月が過ぎました。
2026年4月初め、私は母との面会を申し込むため、施設へ連絡しました。その電話で、母が2~3日前から食事を取れなくなっており、状態がよくないため、すぐに来てほしいという内容を伝えられました。
母が食事を取れなくなっていることを、私はその電話で初めて知りました。私は入所時、少しの体調変化や怪我では連絡不要と伝えていました。しかし今回は、その範囲ではありませんでした。
「状態がよくない」「すぐに来てほしい」という説明を受け、私は施設へ向かいました。
入所後に特別な連絡がなかった母と、久しぶりに会うことになります。しかし、そこで目にしたのは、意思を交わすことが難しい状態の母でした。
話しかけても、返事があるのか分からなかった

施設で会った母は、意識があるのかどうかさえ、私には分からない状態でした。
私は母に話しかけました。しかし、返事をしているのか、していないのか、それも判断できませんでした。医学的にどのような状態だったのかは分かりません。ただ、その日の母と意思を交わすことが難しかったことだけは覚えています。
母が苦しいと感じていたのか、それとも穏やかだったのかも、私には判断できません。本人から確認できなかった気持ちを、今になって推測して書くことはできないと思っています。
結果的に、これが母と会った最後になりました。
その場で私は、介護スタッフと医師へ、母の最期の医療やケアについて自分の希望を伝えました。
「無理に食べさせなくていい」「延命治療はしなくていい」と伝えた

母の状態を見た私は、介護スタッフに「無理に食べさせなくていい」と伝えました。そして医師には、「延命治療はしなくていい」と自分の希望を伝えました。
これは、食事や医療を私一人で中止したという意味ではありません。私が実際にしたのは、目の前の母を見て、家族としての希望をスタッフと医師へ伝えたことです。
父の最期が「苦しそう」に見えた記憶
私がそのように伝えた背景には、およそ10年前に父を見送ったときの記憶がありました。
父は脳梗塞で救急搬送され、病院でバルーンカテーテルを挿入され、点滴を受けながら約1か月を過ごしました。病院のベッドに横たわる父の姿は、私にはとても苦しそうに見えました。
病院のスタッフは、仕事として定められた手順に沿い、父の世話をしてくれていたのだと理解しています。私は医療行為の適否を判断できる立場ではなく、スタッフを責めるつもりもありません。それでも、息子として父を見ていた私には、その約1か月が「死ぬ前の拷問」のようにさえ思えました。
これは、病院やスタッフを非難する言葉ではありません。必要な世話をしてくれていたことを理解したうえで、それでも父の姿が私個人にはそのように見えた、という意味です。父が苦しそうに見えるのに、私には何もできない。そのときに感じたつらさを表す、私自身の記憶です。
母には、できるだけ苦しまずに逝ってほしかった
父の最期を見た経験があったからこそ、母には苦しむ時間をできるだけ長引かせず、楽に逝ってほしいと思いました。それが、無理に食べさせなくてよいことと、延命治療を希望しないことを伝えた理由です。
これは、私自身の一つの経験です。延命治療を望むかどうか、どこまで医療やケアを受けるかについて、すべての人に当てはまる答えがあるとは考えていません。
厚生労働省のガイドラインでは、人生の最終段階における医療・ケアは、本人の意思を基本に、医療・ケアチームと十分に話し合って方針を決めることが重要とされています。本人の意思を確認できない場合も、家族が推定できる本人の意思を尊重し、本人にとって何が最善かを慎重に判断することが基本です。
母の場合、本人がどのような最期を望んでいたのかを、その場で確かめることはできませんでした。私は、父のときのように長く苦しんでほしくないという自分の希望を、スタッフと医師へ伝えました。
勤務中に届いた、母が亡くなったという連絡

2026年4月上旬、私は勤務中でした。午後2時頃、母が入所している施設から電話があり、母が亡くなったことを伝えられました。
最後に面会したとき、母の状態がよくないことは分かっていました。また、介護の仕事を通じて高齢者の死に接してきたため、ある程度の覚悟はできていました。
当日中にできることは、葬儀社を手配し、親族へ連絡することでした。それ以外に、すぐできることはありませんでした。
その日は施設で預かってもらった
施設からは、その日は施設で預かると伝えてもらいました。私は母を迎えに行くのを翌朝にし、葬儀社と親族への連絡を進めました。
亡くなった当日に、すぐ施設へ駆け付けたわけではありません。その日の状況では、翌朝迎えに行くための準備をすることが、私にできることでした。
翌朝、葬儀社と一緒に母を迎えに行った
翌朝、私は手配した葬儀社の方と一緒に施設を訪れ、母を引き取りました。
前日まで、母は施設で生活する入所者でした。その翌朝には、亡くなった母を迎えに行く側になっていました。
母の施設生活は、入所から約3か月半で終わりました。医師から伝えられた死因は「老衰」でした。
医師から伝えられた死因は「老衰」だった

母の死因について、医師から伝えられたのは「老衰」という言葉でした。死亡診断書にも「老衰」と記載されていることを、私自身が確認しています。
厚生労働省の死亡診断書(死体検案書)記入マニュアルでは、死因としての老衰は、高齢者でほかに記載すべき死亡原因がない、いわゆる自然死の場合に用いるとされています。別の病態を併発して亡くなった場合には、医学的な因果関係に従って記載することになります。
母は老健へ入所してから約3か月半後に亡くなりました。しかし、入所と死亡の時期が近いというだけで、老健へ入所したことが死亡の原因だったと結び付けることはできません。
確認できているのは、93歳だった母が施設で最期を迎え、死因が老衰と診断されたことです。そこに、確認できていない原因や物語を付け加えるつもりはありません。
93歳まで生きた事実を、私は「良し」と受け止めた

母が亡くなったとき、私はある程度の覚悟ができていました。
介護の仕事をしてきた中で、すでに何人もの高齢者の死に接していたからです。人が老いて、いつか最期を迎えることを、仕事を通じて何度も見てきました。
介護職として、人には必ず最期があると知っていた
母は2025年初めに体調を崩してから状態が悪化し、老健へ入所した後には要介護5となっていました。食事が取れなくなり、最後に会ったときには意思を交わすことも難しい状態でした。
私は介護職として、人が老いて亡くなる場面に何度も接してきました。生きとし生けるものには、必ず最期があります。死は特別な誰かだけに起こるものではなく、どれほど長く生きても、いつか必ず迎えるものです。
だから私は、死ぬこと自体を「かわいそうなこと」とは考えていません。母の死についても、ただ感情だけで捉えるのではなく、起きた事実として受け止めました。
平均寿命を超える93歳まで生きた
厚生労働省が公表した2025年の簡易生命表によると、日本人女性の平均寿命は87.33年です。平均寿命とは、0歳の平均余命を表す統計上の指標です。
母が亡くなったのは93歳でした。単純に比べれば、2025年の日本人女性の平均寿命を約6年上回ります。
もちろん、平均寿命を超えたかどうかで、一人の人生の価値が決まるわけではありません。何歳で亡くなれば十分だという基準でもありません。また、93歳まで生きたのだから、家族は悲しんではいけないという意味でもありません。
私が伝えたいのは、喜ぶか喜ばないか、悲しいか悲しくないかということではありません。
命には必ず最期があります。母は平均寿命より長い93年間を生きました。私はその事実から、母は「十分生きた」と考えています。だから、その人生と最期を「良し」とすればいいのではないかと思っています。
母が亡くなったことを喜んでいるわけでも、悲しみを否定しているわけでもありません。「93歳まで十分に生きた末に、いつか必ず来る最期を迎えた」と受け止めているのです。
それが、母を見送った私の偽らざる気持ちです。
よくある質問
Q:親が施設へ入所した後に亡くなった場合、入所が原因と考えるべきですか?
A:入所後間もなく亡くなったという時間的な近さだけで、施設入所と死亡の因果関係を判断することはできません。母の場合は、入所前から状態の悪化が続いており、死亡診断書に記載された死因は「老衰」でした。この記事でも、老健へ入所したことが死亡の原因だったとは結び付けません。
Q:本人の意思を確認できないとき、家族だけで延命治療の方針を決めるのでしょうか?
A:厚生労働省のガイドラインでは、家族が本人の意思を推定できる場合はその意思を尊重し、本人にとっての最善を医療・ケアチームで慎重に判断することが基本とされています。家族だけで決めるということではありません。母の場合、私は介護スタッフと医師へ自分の希望を伝えましたが、具体的な医療・ケアを自分一人で決定したわけではありません。
Q:死因としての「老衰」とはどのようなものですか?
A:厚生労働省の死亡診断書記入マニュアルでは、高齢者でほかに記載すべき死亡原因がない、いわゆる自然死の場合に用いるとされています。母については医師から老衰と説明され、死亡診断書の記載も確認しています。
まとめ|93歳まで生きた母の最期を、私は「良し」と受け止めた

母は2025年12月末に老健へ入所し、その約3か月半後、93歳で亡くなりました。最後に会ったときには食事が取れず、話しかけても返事があるのか分からない状態でした。
父の最期を見た経験から、私は母には苦しむ時間をできるだけ長引かせずに逝ってほしいと思い、スタッフには無理に食べさせなくてよいことを、医師には延命治療を望まないことを伝えました。ただし、それがすべての人にとって正しい選択だと言うつもりはありません。
母の死を、喜ぶか悲しむかという感情だけで捉えているのでもありません。生きとし生けるものには、必ず最期があります。
母は、平均寿命を超える93歳まで生き、死亡診断書に「老衰」と記された最期を迎えました。私は「母は十分生きた」と考え、その人生と最期を「良し」とすればいいのではないかと受け止めています。
それが、母を見送った私の正直な結論です。
●出典
