
親の介護を続けていると、「いつまで自宅で介護を続けるのか」「施設へ預けるとしたら、いつ決断すればいいのか」と迷うことがあります。
私も、母を老健へ預ける決断をすぐにはできませんでした。
2025年の初め頃から、母は自力で食事を取ることが難しくなり、トイレへ行かなくなって失禁が増え、それまでほとんどなかった転倒も増えていきました。
施設への入所を考え始めても、私は長い間決められませんでした。
ようやく「具体的に考えなければいけない」と思ったのは11月初め頃。12月初めにケアマネジャーへ相談し、最終的には自分で母を老健へ預けることを決めました。
そのときにあったのは、罪悪感だけではありません。
安心、申し訳なさ、「仕方がない」という気持ちも複雑に絡み合っていました。
その中で、母が家からいなくなることを強く感じたときの言葉が、今も記憶に残っています。
その後、母はさらにADLが低下し、認定調査で要介護5となり、老健への入所から約3か月後に亡くなりました。
今振り返れば、これはあくまで結果論ですが、母を施設へ預けた判断も、その時期も間違っていなかったと思っています。
この記事は、「この状態になったら施設へ預けるべき」と答えを示すものではありません。
私自身が、母の変化を前にしながら長く迷い、誰に相談し、どのような気持ちで老健への入所を決めたのか。その経緯を、一人の家族介護者の体験として書いています。
●この記事でわかること
- 母のどのような変化から施設入所を考え始めたのか
- 施設を考え始めてから決断まで、なぜ長い時間がかかったのか
- ケアマネジャーや家族へどう相談し、最終的に誰が決めたのか
- 母を老健へ預けると決めたとき、実際にどんな気持ちだったのか
- 入所後の母の変化と、現在この決断をどう受け止めているのか
親を施設へ預けることを考えながら、「本当にこれでいいのだろうか」と迷っている方に、私の経験が一つの参考になればと思います。
母を老健へ預ける決断は、突然できたものではなかった

私が母の施設入所を考え始めたのは、2025年の年明け頃でした。
新年早々、母が自宅で転倒して怪我をしました。
その後、体調も崩し、それまで何とかできていたことが少しずつできなくなっていきました。
この頃から、施設入所を考え始めました。
しかし、そう思ったからといって、すぐに施設へ預ける決断ができたわけではありません。
具体的に施設入所を考え始めたのは11月頃。そして、実際に「預けよう」と決めたのは12月初めでした。
振り返ってみれば、ほぼ一年近く考えていたことになります。
施設入所の必要性を感じ始めてから、実際に決断するまでには長い時間がかかりました。
2025年の初めから、母のできないことが少しずつ増えていった

施設入所を考えるようになった大きな理由は、母の日常生活に明らかな変化が出てきたことでした。
「この一件があったから施設を決めた」という出来事が一つだけあったわけではありません。
それまで母自身ができていたことが、一つ、また一つと難しくなっていきました。
食事を自分だけで取ることが難しくなった
以前は、自分で食事を取ることができていました。
ところが徐々に、自力だけではうまく食事を取ることが難しくなり、介助が必要になってきました。
食事は毎日のことです。一度手伝えば終わるわけではありません。
それまで自分でやっていたことに家族の介助が必要になる。こうした変化が少しずつ増えていきました。
自分でトイレへ行かなくなり、失禁が増えた
排泄にも変化が出てきました。
それまでは自分でトイレへ行くことができ、失禁することもほとんどありませんでした。
ところが徐々に自分からトイレへ行かなくなり、失禁することも増えていきました。
在宅介護をしていた約一年の中でも、排泄や清潔に関する介助は、私にとって特に負担の大きい介護でした。
母の尊厳にも関わることですし、こちらの都合どおりに進むものでもありません。
食事の介助が必要になり、排泄でも手が必要になる。それまで母自身ができていた生活の部分を、私が支える範囲が広がっていきました。
それまでほとんどなかった転倒も増えた
そして、もう一つ気になったのが転倒です。
母はそれまで、転倒することがほとんどありませんでした。
ところが2025年の新年早々に自宅で転倒して怪我をし、その後も転倒することが増えていきました。
食事や排泄で介助が必要になることも大変でしたが、転倒の場合は安全にも関わります。
家にいるからといって、ずっと母のそばについていられるわけではありません。
こうした変化が重なり、自宅で母を支え続けることについて、以前とは違う難しさを感じるようになっていきました。
施設を考えていても、私はなかなか決められなかった

母の状態が変わってきたことは分かっていました。
私は介護職として、仕事では高齢者の介護をしています。それでも、自分の母のことになると、仕事と同じようには考えられませんでした。
施設という選択肢は、2025年初めから頭にあった
母が年明けに転倒し、その後体調を崩してADLが低下してきた頃から、施設という選択肢は頭にありました。
施設を考えることと、実際に母を施設へ預けると決めることの間で、私は長く迷いました。
施設を考えながら、決断を伸ばし続けた
施設について考えながらも、私は決断を伸ばし続けました。
母が突然、すべてのことをできなくなったわけではありません。できることも残る一方で、介助が必要な場面は増えていました。
そのため、「今日からもう自宅介護は無理だ」とはっきり線を引ける日があったわけではありませんでした。
母の状態は少しずつ変化していたため、施設入所を考え始めても、私はすぐには決断できませんでした。
11月になって「具体的に考えなければいけない」と思った

そんな状態が続き、2025年11月初め頃になって、私はようやく「もう具体的に考えなければいけない」と思うようになりました。
このときに何か一つ、大きな事件が起きたわけではありません。
それまで積み重なってきた母の変化を前に、自宅で介護を続ける現実を具体的に考える時期になっていました。
施設について考え始めてから、ずいぶん時間が経っていました。
そして12月初め、私は母を施設へ預けることを決めました。
ケアマネと姉に相談し、最後は自分で決めた

私は12月初めに入所を決断し、担当のケアマネジャーへ相談しました。
厚生労働省の介護サービス情報公表システムでは、居宅介護支援について、ケアマネジャーが利用者の心身の状況や生活環境などを把握し、利用者や家族らと話し合いながらケアプランを作成するサービスと説明されています。
まずケアマネジャーに相談した
私は、自分だけで施設を探して「ここに入れよう」と決めたわけではありません。
母の状態を踏まえてケアマネジャーに相談し、そのアドバイスを受けながら考えました。
介護職として働いているとはいえ、仕事として他人を介護することと、自分の母の今後を決めることは別でした。
姉から返ってきた言葉は「任せる」だった
家族の中では、姉にも母の状況を伝えました。
親族として私が相談できる相手は、実質的には姉だけでした。
姉からは、
「任せる」
と言われました。
そして最終的には、私自身が母を施設へ預けることを判断しました。
相談したうえで、最後は自分で判断した
ケアマネジャーに相談し、姉にも母の状況を伝えました。
そのうえで、母の状態と自宅で介護を続ける現実を考え、最終的には自分で決断しました。
選んだのは老健だった|田舎では選択肢そのものが少なかった

母の入所先として決まったのは、介護老人保健施設、いわゆる老健でした。
ただし、私はいろいろな施設を比較して「母には老健が一番いい」と判断したわけではありません。
多くの施設を比較して老健を選んだわけではない
私が暮らしているのは田舎で、施設の選択肢はそれほど多くありませんでした。
私の場合は、ケアマネジャーのアドバイスに従って老健への入所を決めました。
多くの候補の中から理想の施設を選んだというより、母の状態と地域で利用できる選択肢の中から現実的に決めていった、というほうが近いです。
老健は在宅復帰を支援する介護保険施設
厚生労働省の介護サービス情報公表システムでは、老健は在宅復帰を目指す人を受け入れ、できる限り自立した日常生活を送れるよう、リハビリテーションや必要な医療、介護などを提供する施設と説明されています。
私の場合は、こうした制度上の特徴を細かく比較して自分で老健を選んだわけではなく、地域の事情とケアマネジャーの助言をもとに決めました。
ここは、私の実体験と制度上の老健の役割を分けて考える必要があります。
母の意思を確認できないまま、私は入所を決めた

母は認知症が進み、以前の脳梗塞の影響から発語ができない状態でした。
そのため、施設入所について本人の意思を明確に確認することはできませんでした。
どこまで理解していたのかも分かりません。
ただ、自分が置かれている状況についてはある程度理解しているように見え、強く嫌がる姿勢も見せませんでした。
だからといって、「母も納得していた」とは言えません。
母本人の意思を明確に確認できない状態で、家族として入所を判断することになりました。
母が家からいなくなることを、決断したとき強く感じた

母を老健へ預けると決めたとき、私の中には一つではなく、いくつもの感情がありました。
罪悪感。
安心。
申し訳なさ。
そして、仕方がないという気持ち。
罪悪感だけではなかった
私にも罪悪感はありました。けれど、実際の気持ちはそれだけではありませんでした。
安心、申し訳なさ、「仕方がない」という気持ちも同時にありました。
どれか一つが本当で、ほかは違うということではありません。いくつもの感情が、そのときの私の中にありました。
家から母がいなくなることの意味を、そのとき強く感じた
その中で、今でもはっきり覚えていることがあります。
「母が次に家に戻ってくるときは、死んだときなんだな」
そして、
「家では、母が死んだも同然の状況になるんだな」
と思いました。
これは事実として母が亡くなったという意味ではありません。
母が家からいなくなることを、自分がそのときどう感じたのかを表す言葉です。
入所後、母は要介護5になり、約3か月後に亡くなった

その後、施設から母のADLがさらに低下していることを聞き、認定調査では要介護5になりました。
そして母は、入所から約3か月後に亡くなりました。
施設から「さらにADLが低下している」と聞いた
自宅で介護していたときから、母のADLが落ちてきていることは感じていました。
しかし、施設へ入った後もさらに低下していったことを知りました。その後、要介護3だった母は認定調査で要介護5になりました。
私はこの経過を、施設へ入所したことと結びつけて考えてはいません。
なぜ状態が低下したのかについて、私が医学的な判断をすることもできません。
ここで書けるのは、母の状態がその後も変化していったという事実までです。
母は入所から約3か月後に亡くなった
母は、老健へ入所してから約3か月後に亡くなりました。
施設へ入ったから亡くなったとも、反対に施設へ入ったから長く生きられたとも言えません。私には、その因果関係を判断できないからです。
今振り返れば、あの時期の判断は間違っていなかったと思う
これはあくまで結果論です。
その後の経過まで知っている今の私から振り返れば、母を施設へ預けた判断にも、入所した時期にも間違いはなかったと思っています。
これは、施設入所が誰にとっても正解だという意味ではありません。
私自身の母と私の介護について、今そう受け止めているということです。
よくある質問
Q:親を施設へ預けるタイミングは、どう判断すればいいですか?
A: 私の場合、「この出来事があったから施設へ預ける」と決められる明確な境界線はありませんでした。
母が自力で食事を取りにくくなり、トイレへ行かなくなって失禁が増え、それまでほとんどなかった転倒も増えていきました。
そうした変化が少しずつ重なり、2025年の初め頃から施設入所を考えるようになりましたが、実際に決断したのは12月初めです。
親の状態も家族の状況も家庭によって違うため、「この状態になったら施設」という一律の答えを出すことはできません。
私の場合は、自分だけで判断せず、担当のケアマネジャーへ相談しました。
Q:老健とはどんな施設ですか?
A: 介護老人保健施設、いわゆる老健は、リハビリテーションや必要な医療、介護などを受けながら、在宅復帰を目指す人を支援する介護保険施設です。
ただし、私が母の入所先として老健を選んだのは、制度上の特徴を細かく比較して「老健が一番いい」と判断したからではありません。
私が暮らす地域は田舎で施設の選択肢がかなり少なく、ケアマネジャーのアドバイスに従って決めました。
Q:施設への入所を考えたら、まず誰に相談すればいいですか?
A: 私の場合は、担当のケアマネジャーへ相談しました。
家族の中では姉にも母の状況を伝えました。姉からは「任せる」と言われ、最終的に母を施設へ預けることは自分で判断しました。
誰に相談するかは家庭によって異なりますが、自分だけで判断することが難しい場合、現在の本人の状態や介護サービスの利用状況を把握しているケアマネジャーなどへ相談することは一つの方法だと思います。
Q:親を施設へ預けることに罪悪感を持つのはおかしいですか?
A: 少なくとも私は、母を老健へ預けると決めたときに罪悪感がありました。
ただ、それだけではありません。
安心する気持ち。
申し訳なさ。
「仕方がない」という気持ち。
いくつもの感情が複雑に絡み合っていました。
今振り返れば、母を施設へ預けた判断にも、その時期にも間違いはなかったと思っています。
しかし、これはその後の経過を知った現在からの結果論です。
施設入所を決断した当時の気持ちは、一つの言葉できれいに整理できるものではありませんでした。
まとめ|母を老健へ預けた決断を、今は間違いだったと思っていない

母を老健へ預ける決断は、突然できたものではありませんでした。
2025年の初め頃から、母にはそれまでとは違う変化が見られるようになりました。
- 自力で食事を取ることが難しくなり、介助が必要になった
- 自分でトイレへ行かなくなり、失禁が増えた
- それまでほとんどなかった転倒が増えた
- 施設入所を考え始めても、長い間決断できなかった
- 11月初め頃から「具体的に考えなければいけない」と思うようになった
- 12月初めにケアマネジャーへ相談し、最終的には自分で決断した
- 決断したときには、罪悪感、安心、申し訳なさ、仕方なさが入り混じっていた
- 入所後さらにADLが低下し、要介護5となり、母は入所から約3か月後に亡くなった
その後の経過まで知っている今の私から振り返れば、母を施設へ預けた判断にも、入所した時期にも間違いはなかったと思っています。
ただし、それは「親を施設へ預けることが正解だった」という一般論ではありません。
私自身の母と、私自身の家族介護について、今そう受け止めているということです。
当時、何が正しいのか分かったうえで決めたわけでもありません。
母本人は認知症が進み、脳梗塞の影響で発語もできなかったため、施設入所について明確な意思を確認することもできませんでした。
そして、決断したからといって、気持ちが一つに整理されたわけでもありませんでした。
親を施設へ預けるかどうか。これは、家族によって答えが違う問題だと思います。
だから私は、「施設へ預けるべき」とも、「最後まで自宅で介護するべき」とも言えません。
ただ、私自身は一人だけで答えを出そうとはせず、ケアマネジャーへ相談し、姉にも母の状況を伝えたうえで判断しました。
もし今、親の状態が変わり、「このまま自宅で介護を続けられるのだろうか」と感じているのであれば、まずは現在の状況を知るケアマネジャーなどに相談してみることも一つの方法です。
相談したからといって、すぐ施設へ入れると決める必要はありません。
私自身も、施設を考え始めてから実際に決断するまで長い時間がかかりました。
母を老健へ預けると決めたことは、約1年間続いた私の在宅介護にとって大きな転換点になりました。
そして今は、迷いながらもあの時に決断したことを、間違いだったとは思っていません。
在宅介護そのものの現実については、私が要介護3の母を約1年間自宅で介護した体験をまとめた以下の記事でも詳しく書いています。

「なぜ施設入所を考えるところまで来たのか」を知りたい方は、あわせて読んでいただければと思います。
