
介護職としての知識や経験は、親の介護にどこまで役立つのでしょうか。
私は2013年から介護職として働き、母の暮らしを支えてきました。表情や動きから普段との違いに気づき、食事の方法を考えるうえで、仕事の経験は役立ちました。
しかし、勤務を続けながら食事の支度や掃除、トイレ、着替えまで担うことは、仕事として行う介護とは違いました。自宅介護の最後の2か月ほどは特につらく、必要だと分かっていても十分にできなかったことがあります。
●この記事でわかること
- 介護職としての経験が、母の介護に役立った場面
- 転倒前から続いていた生活支援と、その後に増えた介助
- 知識があっても十分にできなかったこと
- 仕事を続けながら自宅で介護する難しさ
- 母の介護を終えた今も残っている後悔
介護職である私が、息子として母を支える中で経験したことを書きます。
介護職でも、親の介護は仕事と同じにはできなかった

母の介護では、表情や動作から普段との違いを見る習慣が役に立ちました。食事の際にも、箸よりスプーンの方が使いやすいか、食べ物をどうすれば食べやすいかを考えることができました。
それでも、仕事で身につけた知識だけで母の暮らしを支えられたわけではありません。自宅では、食事の支度や掃除、トイレ、着替えなどが日々続きます。私は勤務を続けながら、その中心を担っていました。
仕事では介護職として利用者さんに向き合います。母の前では、私は息子でもあります。必要なことが分かっていても、仕事と同じようには行き届かない。その難しさを、母の介護で感じました。
母の介護が本格的に必要になるまで

転倒前から、買い物や食事の支度を支えていた
母の介護は、2025年の転倒を境に突然始まったわけではありません。2023年頃から、買い物や食事の支度、送迎など、母の暮らしを支えることが増えていました。
当時は母が自分でできることも残っていました。一方で、日々の生活を続けるには私の手助けが必要になっていました。のちに歩行やトイレの介助が増えた時期とは、支援の内容が違います。
脳梗塞後、母との意思疎通も変わっていった
母は2020年に脳梗塞を経験し、言葉をうまく発することが難しくなりました。母が伝えようとしていることを、私が聞き取れない場面がありました。
2025年頃からは、こちらの説明を理解してもらうことも難しくなったと感じています。母が何を望んでいるのか分からないまま、必要な手助けを考えることもありました。
2025年初めの転倒後、生活の介助が増えた
2025年の正月、母は自宅の玄関で転倒し、額にけがをしました。それ以前から私が担っていた買い物や食事の支度などに加え、母の部屋の掃除や日常生活の手助けが増えていきました。
それまで通っていたデイサービスにも、行きたがらない時期がありました。その理由を母から十分に聞き取ることはできませんでした。
転倒だけが、その後の変化の原因だったとは言えません。ただ、私が母の生活をさらに支えるようになった時期の出来事として、強く残っています。
介護職としての経験が、母の介護に役立ったこと

表情や仕草から普段との違いに気づけた
仕事で身についたのは、言葉だけでなく、表情や動きにも目を向ける習慣です。母の顔つきや身体の動かし方がいつもと違うと感じたとき、体調を崩していないか気にかけることができました。
表情や仕草だけで病気を判断することはできません。それでも、母が言葉で伝えにくくなってからは、普段の様子を知っていることが助けになりました。
食具や食べ物の形を考えることができた
食事の際には、箸を使いにくそうならスプーンの方がよいか、どのような形なら食べやすいかを母の様子を見ながら考えました。
これは、私が母に対して行った工夫です。飲み込む力を専門的に評価したという意味ではありません。介護職としての経験が役立った場面は、確かにありました。
知識があっても、十分にできなかったこと

口腔ケアやトイレ介助に、十分に手をかけられなかった
口の中を清潔に保つことや、トイレに行くときの介助が大切だとは分かっていました。それでも母に対して、毎回十分にできたとは思っていません。
勤務を続けながら、食事や家のことにも対応していました。母が必要とする手助けが増えるにつれ、分かっていても手が回らないことがありました。その思いは、介護を終えた今も残っています。
寝具や衣類まで整え続ける難しさがあった
母の生活を支えるには、身体に触れる介助だけでなく、布団や衣類を整え、着替えや掃除にも対応する必要がありました。
一つひとつは日常の仕事に見えるかもしれません。しかし、必要なときに続けて行うことは簡単ではありませんでした。もう少し丁寧にできたのではないか、と今も考えます。
自宅介護の最後の2か月に限界を感じた

歩行・トイレ・着替えに必要な介助が増えた
自宅で介護した最後の2か月ほどは、特につらい時期でした。母が歩くこと、トイレへ行くこと、着替えることに、以前より多くの手助けを必要とするようになったからです。
移動が難しくなると、トイレや着替えにも関わります。一つの場面だけを手伝えば済む状態ではなく、生活のさまざまなところで母を支える必要がありました。
勤務を続けながら、母の生活を支えた
私は当時も通常の勤務を続けていました。母の介護は主に私が担い、私がいないときは姉が対応してくれました。
それでも、仕事を終えて帰れば食事や家のこと、母に必要な介助が続きます。最後の2か月ほどは、このまま自宅で介護を続けることは難しいと考えるようになりました。
自宅での介護は難しいと判断した
私は最終的に、自宅で母を介護し続けることは難しいと判断しました。そして母は老健(介護老人保健施設)に入所しました。
施設を考え始めてから決断するまでの経過は、「母を老健へ預けると決めた日」に書いています。ここでは、介護職である私にも、自宅で支え続けることが難しくなった時期があったことを伝えたいと思います。

「もっと丁寧にできたのではないか」という思いは今も残る

母が老健に入ったあとも、自宅での介護を振り返ることがあります。口腔ケアやトイレの介助、布団や衣類のことなど、もう少し丁寧にできたのではないかという思いです。
介護の仕事をしていたからこそ、必要だと分かっていたこともあります。それを十分にできなかったという気持ちは、知識が役立ったという事実と同時に残っています。
当時、私は自宅で介護を続けることは難しいと判断しました。その判断と、自宅でもっとできたのではないかという後悔は、私の中で別々にあります。母の介護を終えた今も、その後悔をなかったことにはできません。
よくある質問
Q:介護職でも親の介護がつらくなることはありますか?
A:私の場合は、つらい時期がありました。介護の経験は役立ちましたが、勤務を続けながら母の生活全体を支えることは、仕事として行う介護とは違いました。
Q:介護職の知識は、親の介護でも役立ちましたか?
A:母の表情や動きから普段との違いに気づくことや、食事の際に使う道具や食べ物の形を考えることに役立ちました。ただ、それだけで必要な介助をすべて十分に行えたわけではありません。
Q:仕事を続けながらの親の介護で、何が難しかったですか?
A:食事の支度や掃除に加え、歩行、トイレ、着替えなどの手助けが増えたことです。母の介護は主に私が担い、不在時は姉が対応してくれました。それでも、自宅介護の最後の2か月ほどは、続けることが難しいと感じました。
Q:自宅での介護が難しくなったときは、どこへ相談できますか?
A:担当のケアマネジャーがいる場合は、増えた介助や家族が対応できない時間を具体的に伝えて相談できます。相談先が分からない場合は、親が住む地域の地域包括支援センターも窓口の一つです。所在地や名称は、その地域の自治体で確認してください。
まとめ|介護職でも親の介護は仕事と同じにはできなかった

介護職としての経験は、母の介護に役立ちました。一方で、必要なことを知っていても、十分にできなかったことがあります。
- 母の表情や動きの変化に気づき、食事の方法を考えるうえで、仕事の経験が役立った。
- 買い物や食事の支度を支えていた時期のあと、歩行やトイレなどの介助も増えた。
- 口腔ケア、トイレ介助、寝具や衣類のことには、十分に手をかけられなかったという思いが残る。
- 私が主に介護を担い、不在時は姉が対応してくれたが、最後の2か月ほどは特につらかった。
- 自宅で介護を続けることは難しいと判断した。その後も「もっと丁寧にできたのではないか」という後悔は残っている。
介護の知識が役立ったことも、家族として行き届かなかったことも、私が母の介護で経験した事実です。
今、親の介護を続けることが難しいと感じているなら、必要になった介助と、家族が対応できない時間を整理してみてください。担当のケアマネジャー、または親が住む地域の地域包括支援センターに、具体的な状況を伝える手がかりになります。
