
介護職として親の介護をすることになったとき、仕事で身につけた知識や経験は、どこまで役に立つのでしょうか。
私は2013年から介護の仕事を続け、要介護3だった母を約1年間、自宅で介護しました。
介護職としての経験は、母の表情や仕草から普段との違いに気づいたり、食べやすい方法を考えたりするうえで役立ちました。
しかし、介護の知識があることと、仕事を続けながら母の生活全体を支えることは別でした。
言葉による意思疎通が難しくなり、歩行、トイレ、着替えなどの介助が増れるにつれて、自宅で介護を続けることにも限界を感じるようになりました。
口腔ケアやトイレ介助、布団や衣類の入れ替えなど、必要性を理解していながら、十分にできなかったと思うこともあります。
母の介護を終えた今も、「もっと早く、もう少し丁寧に面倒を見てやれたのではないか」という思いは残っています。
この記事では、介護職としての知識が母の介護に役立ったことと、それでも仕事と同じようにはできなかった現実を、一人の介護職であり息子でもある私の体験として書きます。
●この記事でわかること
- 介護職としての経験が親の介護に役立ったこと
- 仕事の介護と家族として行う介護で違ったこと
- 知識があっても十分にできなかった介助
- 自宅介護を続けることが難しくなった経過
- 母の介護を終えたあとも残っている後悔
介護職なのに親の介護を十分にできなかったと、自分を責めている人に読んでいただければと思います。
介護職でも、親の介護は仕事と同じにはできなかった

私は2013年から介護の仕事をしています。デイサービスや老人保健施設で働き、現在も介護の現場にいます。
そのため、母の介護が必要になったときも、介護について何も知らない状態ではありませんでした。高齢者の様子を観察し、身体の状態に合わせて介助することは、仕事を通して学んできました。
実際に、その経験が母の介護に役立ったことはあります。
しかし、母を介護するようになって分かったのは、介護の知識を持っていることと、家族として毎日の生活を支え続けることは同じではないということでした。
仕事では介護職として利用者さんと向き合います。一方、母の前では、私は介護職である前に一人の息子です。
母との間には、それまで長く続いてきた親子の関係があります。その関係を切り離し、仕事とまったく同じように接することはできませんでした。
介護職としての知識や経験はあった
介護の仕事をしていたことで、母の表情や動作を自然に見る習慣が身についていました。
いつもと様子が違うのではないか。熱があるのではないか。食事は箸よりもスプーンの方が食べやすいのではないか。
そうしたことを考えられたのは、介護職として働いてきた経験があったからだと思います。
介護の知識が役に立たなかったわけではありません。母の小さな変化に気づくうえでは、確かに助けになりました。
ただし、変化に気づけることと、その後の生活全体を支えられることは別でした。
知識があることと、家族として支え続けることは別だった
仕事として行う介護には、担当する時間と業務があります。
家族介護では、食事の準備、部屋の掃除、着替え、トイレ、口腔ケア、布団や衣類の入れ替えなど、日々の生活が途切れずに続きます。
母の状態に合わせて生活全体を支えることは、介護の知識だけで対応できるものではありませんでした。
当時の私は通常の勤務を続けながら、母の生活に必要な介助を行っていました。
介護職としての知識は母の介護に役立ちました。それでも、親の生活を家族として支えることは、仕事として行う介護とは違いました。
母の介護が本格的に必要になるまで

母は2020年に脳梗塞で倒れました。
それ以降、言葉をうまく発することが難しくなりました。私には、認知面にも衰えが見られるように感じられました。
母が何を伝えようとしているのか、私には分からない。私が話したことも、母には十分に伝わらない。そのような場面が増えていきました。
それでも母は、身の回りのことを何とか自分で行っていました。デイサービスにも自ら進んで通っていました。
その状況が大きく変わったのが、2025年の初めでした。
脳梗塞のあと、親子の意思疎通が難しくなった
脳梗塞で倒れたあと、母との意思疎通は以前のようにはいかなくなりました。
母が言おうとしていることを、私が何度聞いても理解できないことがありました。反対に、私が伝えたことを母が理解できず、同じ説明を繰り返すこともありました。
母の言葉を理解したいのに理解できない。こちらの言葉も思うように伝わらない。
言葉による意思疎通の難しさは、身体を介助することとは別の負担でした。
この時点では、母はまだ身の回りのことを何とか自分で行っていました。ただ、以前とは違う母の姿を感じる機会は増えていました。
新年早々の転倒を境に、生活の介助が増えた
2025年の初め、母は転倒して額にけがをしました。
その後、母は体調を崩しました。私には、入院が必要になるのではないかと思うほど状態が悪く見えました。
それまでは、十分とは言えなくても、自分のことは自分で行っていました。しかし、その後は、これまでできていたことが少しずつ難しくなっていきました。
母の部屋の掃除を私がする必要が出てきました。食事も、私が用意する場面が増えました。
ある日突然介護が始まったというよりも、それまで母が何とか自分で保っていた生活を、私が少しずつ補うようになったという感覚でした。
掃除や食事の用意は、一つひとつを見れば、特別な介助には見えないかもしれません。
しかし、仕事を続けながら毎日の生活を支えるとなると、負担は積み重なります。
通っていたデイサービスにも行きたがらなくなった
母はそれまで、自ら進んでデイサービスへ通っていました。
ところが、転倒して体調を崩したころから、デイサービスにも行きたがらなくなりました。
なぜ行きたくなくなったのか、母の気持ちを正確に知ることはできません。言葉による意思疎通が難しく、理由を十分に聞き取ることもできませんでした。
デイサービスへ行きたがらなくなったことで、母の生活をどのように支えていくかを、以前よりも強く考えなければならなくなりました。
このころから、母の介護は必要なときに少し手伝う段階を越え、日常生活を継続して支える介護へと変わっていきました。
介護職としての経験が、母の介護に役立ったこと

母の介護では、十分にできなかったと感じることがいくつもあります。それでも、介護職として身につけた知識や習慣が、まったく役に立たなかったわけではありません。
特に役立ったのは、母の表情や仕草を観察することと、そのときの状態に合わせて食事の方法を考えることでした。
介護の仕事をしていると、本人が言葉で訴えていなくても、普段と違うところがないかを見る習慣がつきます。母との言葉による意思疎通が難しくなってからは、その習慣が役立ちました。
表情や仕草から普段との違いに気づけた
私は母の顔つきや動作を、意識する前に見ていたように思います。
いつもより表情に元気がない。動き方が普段と違う。身体が熱いように感じる。そのような小さな変化から、発熱しているのではないか、体調を崩しているのではないかと考えることができました。
もちろん、表情や仕草を見ただけで病気を判断できるわけではありません。それでも、言葉で自分の状態を十分に伝えられなくなった母について、普段との違いに気づくことは必要でした。
母が何を訴えているのか分からないときにも、言葉だけに頼らず、身体の動きや表情を見ることができました。
食事形態や食具を考えることができた
食事についても、介護の経験が役立ちました。
それまで箸を使って食べていても、その日の状態によっては箸を扱うことが難しくなります。そのようなときには、スプーンの方が食べやすいのではないかと考えることができました。
食べ物についても、普段と同じ形で出せばよいとは限りません。母の様子を見ながら、どのような形なら食べやすいかを考えました。
ただし、私は医師や看護師、言語聴覚士などの医療専門職ではありません。母の飲み込む力を専門的に評価していたわけではなく、介護職としての経験と、目の前の母の様子から考えていたものです。
介護の知識は無駄ではなかった
親の介護がつらかったと書くと、介護職としての知識は役に立たなかったように見えるかもしれません。
私の場合、そうではありません。母の小さな変化に気づくことや、食べる方法を考えることには、仕事で身につけた知識や観察の習慣が役立ちました。
しかし、変化に気づくことができても、必要な介助をすべて丁寧に続けられるとは限りません。何をした方がよいか分かっていても、仕事を続けながら毎日の生活を支えることには難しさがありました。
介護職としての経験は、母の介護を支える一つの力になりました。けれども、それだけで家族介護の難しさがなくなるわけではありませんでした。
知識があっても、十分にできなかったこと

介護職として、何をした方がよいか分かっていることはありました。口の中を清潔に保つこと。トイレを安全に使えるように介助すること。布団や衣類を整えること。どれも必要性は理解していました。
それでも母の介護では、適切にできたとは言えません。知識がなかったからではなく、毎日の生活の中で継続することが難しかったのです。
言葉が通じないことにもどかしさがあった
母は脳梗塞で倒れたあと、言葉をうまく発することが難しくなりました。母が何を言っているのか、私には理解できない。私が伝えたことも、母には十分に伝わらない。そのようなことが何度もありました。
母が何をしてほしいのか分からないまま、同じやり取りを繰り返すこともありました。私は母の言葉を理解したいと思っていました。母にも、私の言うことを分かってもらう必要がありました。
けれども、どちらも簡単にはいきませんでした。この意思疎通の難しさは、母の身体を介助することとは異なる負担でした。
口腔ケアやトイレ介助を適切にできたとは言えない
口腔ケアが必要であることは知っていました。自分で十分にできなくなれば、手助けが必要になることも分かっていました。それでも、母に対して毎回きちんとできていたとは言えません。
トイレの介助についても同じです。母が自分でトイレへ行くことが難しくなれば、移動や衣類の上げ下ろしなどを手伝う必要があります。転倒しないように注意することも必要です。
しかし、自宅では介護だけに集中できるわけではありません。食事の準備や掃除など、ほかにもしなければならないことがあります。自分の仕事や生活も続いていました。
必要なことを知っていながら、十分に手をかけられなかったという思いが、今も残っています。
布団や衣類まで整え続ける難しさがあった
家族介護で必要になるのは、身体に触れる介助だけではありません。母が使う布団を整えること。寝具や衣類を入れ替えること。着替えを手伝うこと。部屋を掃除し、食事を準備すること。生活のすべてがつながっています。
一つひとつは、特別に難しいことではないように見えるかもしれません。しかし、それらを仕事の合間に、必要なときに継続して行うことは簡単ではありませんでした。
家庭では、介助と家事を明確に分けることができません。母の身体の状態を見るだけでなく、食事、掃除、寝具、衣類など、生活全体を見る必要がありました。
もっと早く、もう少し丁寧にできたのではないか。その思いは今もあります。
当時の私は、できる範囲で母の生活を支えながら仕事も続けていました。それでも、必要なことのすべてには手が回りませんでした。
自宅介護の最後の2か月に限界を感じた

母の自宅介護で特につらかったのは、最後の2か月ほどでした。
それまでも掃除や食事の用意など、生活を支えるための手助けは必要でした。しかし、母が思うように歩けなくなり、トイレや着替えにも介助が必要になると、負担の大きさが変わっていきました。
一つのことだけができなくなったのではありません。歩くこと、トイレへ行くこと、衣類を着替えることなど、日常生活の複数の場面で支えが必要になりました。
歩く・トイレへ行く・着替えることが難しくなった
母が自分の力だけで歩くことが難しくなると、生活のさまざまな場面で介助が必要になりました。
部屋の中を移動することも、トイレへ行くことも、一人では難しくなります。着替えも、衣類を用意するだけでは済まず、身体を支えながら手伝う必要が出てきました。
介護の必要が一つ増えると、その場だけを手伝えば終わるわけではありません。移動、排泄、着替えがつながり、母の生活全体を支える必要がありました。
言葉による意思疎通も難しく、母の希望を十分に聞き取れないことがありました。その中で、目の前で必要になった介助を行っていました。
8時間勤務を続けながら生活全体を支える難しさ
当時の私は、通常どおり1日8時間働いていました。週休2日で、残業も基本的にはありませんでした。勤務条件だけを見れば、介護に使える時間がまったくなかったわけではありません。
それでも、仕事と母の介護を両立することは簡単ではありませんでした。
勤務を続けながら、母の食事、掃除、トイレ、着替え、寝具や衣類などに対応する必要がありました。母の状態によって、必要になることも変わります。残業がなければ介護もできる。週に2日休みがあれば十分に対応できる。そのような単純なものではありませんでした。
何をする必要があるか分かっていても、それを毎日続けるための時間や体力が十分にあったとは言えません。最後の2か月ほどは、このまま自宅で介護を続けることは難しいと考えるようになりました。
自宅での介護は無理だと判断し、老健(介護老人保健施設)を利用した
母は、介護が必要になったあともデイサービスを利用していました。
しかし、歩くことやトイレ、着替えなどに介助を必要とするようになると、デイサービスを利用しながら自宅で暮らし続けることにも難しさを感じるようになりました。
私は最終的に、自宅で母を介護し続けることは無理だと判断しました。
そして、母は老人保健施設を利用することになりました。
この判断に至った詳しい経緯や、そのときの気持ちは、別の記事で書きます。
ここで伝えたいのは、介護職である私にも、自宅で支え続けることができないと判断した時期があったということです。
老健を利用したことが、すべての家庭にとって適切な選択だと言うつもりはありません。本人の状態や家族の事情、利用できる支援は、それぞれ異なります。
私の場合は、母の日常生活に必要な介助が増え、仕事を続けながら自宅で支えることに限界を感じました。
自分ができると思うことと、実際に継続してできることは別でした。
「もっと丁寧にできたのではないか」という思いは今も残る

母の介護を振り返ると、今でも考えることがあります。
もっと早く、母の変化に合わせて生活を整えられたのではないか。もう少し丁寧に、身の回りのことをしてやれたのではないか。
介護職として必要なことを知っていたからこそ、できなかったことが目につきます。
口腔ケアをもっと丁寧にできたのではないか。トイレへ行く母を、もう少し落ち着いて支えられたのではないか。布団や衣類にも、もう少し気を配れたのではないか。
母は老人保健施設へ入ったあと、約3か月で亡くなりました。
もっとできたのではないかという思いは、答えの出ないまま残っています。
知識があっても、介護に使える時間が増えるわけではなかった
介護職として働いていた私は、母に必要な介助をある程度理解していました。
しかし、知識を持っているからといって、介護に使える時間が増えるわけではありません。
私は1日8時間の勤務を続けていました。残業は基本的になく、週に2日の休みもありました。
それでも、勤務を続けながら、母の食事、掃除、排泄、着替えなどを支えることには難しさがありました。
何をすればよいか分かっていても、実際には手が回らないことがあります。
介護の知識だけでなく、母の暮らし全体を継続して支える時間が必要でした。
老健(介護老人保健施設)を利用したあとも後悔は残った
自宅での介護は無理だと判断し、母は老健を利用することになりました。
それでも、自宅でもっとできたのではないか、施設へ入る前にもう少し丁寧に面倒を見てやれたのではないかという思いは残っています。
一方で、当時の私は、自宅で介護を続けることは難しいと判断しました。それも事実です。
老健を利用した判断が正しかったのか、間違っていたのか。今の私には、簡単に言い切ることができません。
自宅で続けられなかったことへの思いと、当時は続けることができなかったという現実。その両方があります。
支援や施設を利用したからといって、後悔がなくなるとは限りません。
それでも、自分や家族だけでは支えられない状態になったとき、外部の力を借りることも選択肢の一つだと、今は考えています。
介護職だから親の介護も十分にできるとは限らない
介護職として身につけた経験が、家族の介護に役立つことはあります。
私も、母の表情や仕草から普段との違いに気づき、食べやすい方法を考えることができました。
しかし、介護職であることと、親の生活を一人で十分に支え続けられることは同じではありません。
家庭では、身体の介助だけでなく、食事、掃除、寝具、衣類など、生活全体が続いていきます。そこには、それまでの親子関係もあります。
私自身、もっとできたのではないかという思いから完全に離れられたわけではありません。
それでも、家族だけで支え続けることが難しくなったときには、利用できる介護サービスや相談先を確認することができます。
厚生労働省は、介護を必要とする本人だけでなく、家族介護者も含めて社会全体で支える必要があるとしています。地域包括支援センターは、高齢者や家族の相談、必要な支援への案内などを行う、市町村が設置する相談機関です。
母の介護を終えた今も、私には後悔があります。その後悔を、なかったことにはできません。
ただ、介護職であっても親の介護に迷い、十分にできないことがある。そのことを、同じように自分を責めている人へ伝えたいと思っています。
よくある質問(Q&A)
Q:介護職でも親の介護がつらくなることはありますか
A:少なくとも私の場合、介護職としての知識や経験があっても、親の介護はつらいものでした。
介護職の経験が役立つ部分はありますが、仕事をしながら、家族として生活全体を支えることは別の問題です。すべての介護職が同じように感じるとは限りませんが、つらいと感じたことだけで介護職として失格になるわけではないと私は考えています。
Q:仕事では対応できるのに、親には冷静に対応できないのはおかしいですか
A:仕事の介護と家族介護では、相手との関係や、介護を担う時間、生活への関わり方が異なります。
この記事で正常・異常を判断することはできませんが、自分の負担や感情を否定せず、何が難しくなっているのかを整理することは大切です。
Q:介護職の知識は親の介護でも役立ちますか
A:私の場合は、母の表情や仕草から普段との違いに気づくことや、箸とスプーンのどちらが食べやすいかを考えることに役立ちました。
ただし、知識があることと、仕事を続けながら生活全体を十分に支えられることは別でした。
Q:自宅での介護が難しくなったときは、どこへ相談できますか
A:担当のケアマネジャーがいる場合は、歩行、排泄、着替えなど、必要な介助が増えたことを伝えてみてください。
地域包括支援センターも、高齢者や家族が介護について相談できる窓口の一つです。市町村によって名称や対応内容が異なる場合があるため、親が住んでいる地域の自治体で確認してください。
Q:親の介護でイライラする自分は、介護者失格でしょうか
A:感情を抱いたことだけで、介護者としての価値を決めることはできません。
ただし、怒りやつらさを一人で抱え続けるのではなく、自分の疲労や介護量を振り返り、必要に応じて支援者へ相談することを検討してください。
親の介護でイライラするときの原因や対処については、別の記事で詳しく扱う予定です。
まとめ|介護職でも親の介護は仕事と同じにはできなかった

介護職として身につけた知識は、母の変化に気づき、食事の方法を考えるうえで役立ちました。
一方で、通常の勤務を続けながら、母の食事、掃除、排泄、着替え、寝具や衣類など、生活全体を支えることは、仕事として行う介護とは違いました。
私には、必要性を知りながら十分にできなかった介助があります。
自宅介護を続けられず、母が老健を利用したあとも、「もっと早く、もう少し丁寧に面倒を見てやれたのではないか」という思いは残りました。
介護職としての知識が役立つことはあります。しかし、知識があるからといって、介護に使える時間や体力が増えるわけではありません。
介護職だから親の介護もできて当然だと考え、一人で抱え続ける必要はないと、今の私は思っています。
一人で抱えきれないと感じたら
親の介護を続けることが難しいと感じている場合は、現在どのような介助が必要になっているのかを書き出してみてください。
たとえば、次のような内容です。
- 歩くときの支え
- トイレへの移動や衣類の上げ下ろし
- 着替え
- 食事の準備や介助
- 掃除や洗濯
- 寝具や衣類の管理
- 見守りが必要な時間
家族が担っていることを整理すると、何に困っているのかを支援者へ伝えやすくなります。
担当のケアマネジャーがいる場合は、その内容を伝えて相談できます。どこへ相談すればよいか分からない場合は、親が住む地域の地域包括支援センターも相談先の一つです。
利用できる支援やサービスは、本人の状態や地域によって異なります。
介護職だから自分でできるはずと決めつけず、今の生活を続けるために何が必要なのかを、支援者と一緒に考えてもらうことも選択肢です。
※このブログでは、個別の介護方法、医療判断、施設選びの相談には対応していません。緊急性のある体調変化や事故については、医療機関や地域の適切な窓口へ相談してください。
